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人生脚本に代表される交流分析の創始者エリック・バーンとは

 
交流分析創始者エリック・バーン
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【働く戦士サポート心理カウンセラー】 8年間で10,000人以上のお客様のPCサポート実績 現在はTA交流分析に基づいて職場で悩んでいる方に寄り添うカウンセリング・セミナーをしています。
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心理学を勉強すると、「フロイト」「ユング」などが有名です。ここ数年では「嫌われる勇気」という大ヒットした本に出てくる、アドラーも広く知られるようになりました。

 

エリック・バーンの交流分析(TA)

 

では、あなたはこれまでに「エリック・バーン」というアメリカで活躍した精神科医のことを聞いたことがありますか?

 

この記事ではエリック・バーンがどんな歩みをしたのことについて解説していきます。

 

人生脚本に代表される交流分析の創始者エリック・バーンとは

人生脚本に代表される交流分析の創始者エリック・バーン

エリック・バーン

 

エリック・バーンは1910年5月10日、カナダのモントリオールのとある医者と作家の家庭に誕生します。

 

エリック・バーンの家族構成

家族の構成は父親、母親、エリック・バーン、妹の4人家族。

 

彼は医者だった父親デイビット(David Hillel Bernstein)が大好きで、よく治療現場についていきました。しかし、残念なことに彼が11歳のときに、大好きだった父親が結核で亡くなってしまいます。

 

母親は作家でしたが、夫が亡くなった後は子供2人をやもめとして育てていきました。

 

エリック・バーンのキャリア

エリック・バーンは1935年にカナダで外科医になったあと、アメリカに移動し、エール大学の精神科の研修医として働き始めます。そして、その後、ニューヨークにあるシオン山病院で精神科医として働きます。

 

1941年からニューヨーク・精神分析研究で自らトレーニングを受け、そこで出会ったポール・フェダーン(Paul Federn)が後に提唱することになる交流分析(TA)の基本概念である「自我状態」に大きく影響を及ぼします。

 

エリック・バーンの入隊から除隊

1943年にアメリカ陸軍に入隊し、陸軍病院の精神科医として働き始めます。彼のグループによる精神療法が軍隊でも効果的であるという評判が立ち、彼はそこで功績を残しました。

 

彼はそこで10,000人以上の兵隊をリサーチして臨床を重ね、非常に効果的で役立つと確信を強めます。

 

それまでの「精神分析」というと、発せられる言葉からの分析が語られることが一般的でした。しかし、エリック・バーンはむしろ「非言語的」メッセージを読み取っていくことが必要だと考え、それが彼の心理療法の一番の特徴となりました。

非言語メッセージ

非言語メッセージ

 

1946年にエリック・バーンは除隊し、サンフランシスコにある病院で助手として勤務し始めます。そこでは、陸軍の精神科医のコンサルタントを続けながら、自分自身の診療所でも診察を始めました。

 

交流分析の基礎固め&精神分析との決別

1949年からエリック・バーンは精神分析の月刊誌に論文を掲載するようになり、それらが今一般に知られるようになった交流分析の基礎になったと言われています。

 

それと同時に、1950年代前半になると、これまでの精神分析を批判するようになり、フロイトの古典派グループから追放され、最終的には所属していた精神分析協会の有識者登録が認められてなくなります。

 

これをきっかけに、今までの精神分析論の不都合な点を無視し、彼独自に理論をより確立していく決意となりました。

 

交流分析理論の検証の日々&広める活動

エリック・バーンは学会を追い出さるという苦難を経験しても、月刊誌への投稿を続けました。1960年までの間、インド、香港、トルコ、フィリピン、南太平洋の国の精神病院を訪問し、彼の理論が違った国や文化でも効果があるのかを検証していました。

 

エリック・バーン

彼は1964年に『人生ゲーム入門』を出版します。彼はこの本を友人たちに1冊でも多く買ってもらえるように頼んだと言われています。

 

その結果、月間最多販売書籍に選ばれ爆発的なヒットになります。それがきっかけで、交流分析で出てくるテーマの「ゲーム」「ストローク」「ホームポジション」の用語が広く知られるようになりました。

 

エリック・バーンの人生の特徴

彼自身は人生で3回結婚&離婚を経験しています。大好きな父親と同じ職業である医者になったこと、そして多くの論文を掲載していたのも作家だった母親をどこかモデルにしていたと考えられます。

 

交流分析の理論についての話はたくさんあっても、彼のプライベートについてはほとんど口外しなかったと言われています。

 

最期は散歩中に心臓発作に起こし、1970年7月15日(60歳)で亡くなりました。

 

まとめ

 

彼の人生はどこか自分の両親への憧れが強かったことでしょう。しかし、古典派フロイトの精神分析にとらわれず、新しい考え方を生み出していきました。今では交流分析(TA)は、コミュニケーションスキル研修でよく取り上げられ、とても信頼されている理論になりました。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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【働く戦士サポート心理カウンセラー】 8年間で10,000人以上のお客様のPCサポート実績 現在はTA交流分析に基づいて職場で悩んでいる方に寄り添うカウンセリング・セミナーをしています。
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